単調な基本稽古の中に強くなる極意が有る。技の中では無い。
基本は、何万回、何十万回遣って行く内に叩き方、蹴り方、動き方、間合いの取り方、そう言うものを覚えて来る。其れは単調な稽古だ。毎日同じ事を遣るのだから。
空手と言うのは心身を強くするのが目標で有り、其の事を踏まえて精進して貰いたい。其して、武道空手で有る事を忘れ無いで居て貰いたい。
武の道に於いては、千日を初心とし、万日の稽古を以て極めとする。
聖士會館館長が何時も仰っている言葉であり、基本技の
にも書かれている。武道空手である聖士會館空手道は一生を掛けて学び、心を大きく強くすると信じて止まない。
空手は沖縄が発祥であるが、古武道に近い聖士會館空手は
一に基本、二に基本、三四が無くて五に基本と言う程、基本稽古に全ての技が蓄積して居ると言われる。技には時にして、物理学や人間の無意識に於ける特性を使用する。此は瞬時の判断力を身に付ける為であり、身体の骨格や特性を大いに理解しなければ行けない。それは無双原理(比べる事の出来ない程素晴らしい理論)であり、稽古に因って身体に染み付かせる事、宇宙の理を勉強して行く事に他成らない。
武の道であるから心を無にする事で素の自分に返れる時がある。然し、私には邪念が多い......だから修行させて戴くのかも知れ無い。
丹田から湧き上がるエネルギーを押し殺す様に、「風の様に空気の様に成る事。」其れは透明体になり、目で見るのでは無く、心の目で感じる事であり、相手の先の先を取り、出来るなら相手が動く前に行動するように仕掛ける。そして、一撃必殺で捌き崩し、極める事を理想として日々の稽古に励んで行きたい。
達人は基本の数が違う。幾ら運動神経が良くても幾ら要領が良くても一朝一夕には身に付ける事が出来ないのが、武道空手であると思う。
武道は心の修行であり、若輩者は長上を敬い、謙虚な気持ちで接する事が自然に出来無ければ成らないし、自我を殺した「押忍」の精神でひたすら耐える事が出来なければ、失敗する。
数々の素晴らしい理論を学びながら、人生を通して聖士會館
の空手道を全うさせて貰おうと言うのが私の人生の目標だ。伝統的な物を引き継ぎ、更に後世にも伝えたい......
又、聖士會館空手道と言う武道を通して、礼儀作法で心を穏やかに、そして
裏技である骨法で困っている人達の手助けが出来れば良い。
食べ物は動物性蛋白質を極力除いて瞬時の判断力の向上を目指したい。
真の武の道と言うのは、心身共健康を目指す事には最高だと思う。
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