2,007年12月5日(水)

 

 


 ・記憶
  記憶力が良い人、悪い人、なんの違いがあるのでしょうか?自分の得意な事は記憶し、自分にとってどうでも良い事は記憶を自分でしようとしません。記憶は自分の意志に因ってコントロールして居ると言う事に他なりません。印象に残った事や心に深く傷を負った事なども記憶として忘れる事が出来ません。記憶は脳味噌の中枢にしまい込んであるのでしょうが、聖士會館流に言うなら幽体が大きくなった時の記憶の領域は拡がるのではないかと思います。
 ある匂いや昔聞いて音楽が流れたりするとフラッシュバックの様に小さい時の記憶が戻る時があります。例えば、中学校に聞いていた音楽を聴くと心まで若返るような気持ちに成ります。記憶は5感と共に連動し、トリガがあれば思い出そうとしなくても勝手に思い出します。
 受験勉強を思い出すと意味の無い記憶をし、無駄に脳味噌を使ったのではないかと今になって思います。無理矢理に英単語を覚える為に連想ゲームの様に全く違う物から覚えようとしました。此は自分の中では人の名前を覚える時に、有効で全く違う想像をして勝手に連想し、くっつけます。実はこのような時に記憶の回路、神経細胞同士が繋がって何かを覚えると言う行為が出来るのではないかと思います。
 世の中にはみどりちゃんの所の早紀ちゃんのようにビデオで撮ったかのように総て記憶して仕舞う人が居ます。でも良く考えるとアメリカのCIAなどの犯人捜しの時に、催眠術に掛けてその時何が起こったかを知ると言う事を遣ります。実は脳味噌の中の何処かにはその映像なり、記憶が入って居ると言う事に成ります。それを早紀ちゃんは意識的に出来るのだから天才でしょう。
 忘れ物の多い自分は良く物を置き忘れたり、部分的に忘れたりします。此を分析すると意識外で詰まり無意識で何かを行って居る時は、全く覚えて居ません。ガスの元締めを締めたり、ドアの鍵を掛けたりするような行為と言うのは、日常茶飯事に無意識で遣ったりするので覚えてないで、やったかどうか心配で戻ると言うのは良くある事です。癖になって居る物は無意識で起こる動作だと言えるでしょう。だからお酒を飲んで無意識に成った時は、殆ど覚えて居ません。無意識だから記憶に無いと言えると思います。だから、本当は無意識で事を遣っていると言うのは記憶を失わせる切っ掛けになると言う事でもあります。
 政治家は良く「記憶に御座いません。」と都合の悪い時に言いますが、意識的ある記憶なら必ず覚えているので完全に嘘つきです。私の理論で言えば、記憶に意識的にも無意識的にもあるのですから、「記憶に御座いません。」と言った瞬間からもう認めて居ると言う事だと思います。
 記憶は年を取ると共に神経細胞が死ぬ数が多いので、記憶力が無くなると一般的に言われます。私の祖父は鰹一本釣りの漁師でしたが、何回も鰹の釣り方を教えてくれた物です。それは頭の中の記憶として鮮明で自分が楽しかった事、印象に残った事だから覚えて居るのであり、その繋がった神経細胞はずっと死なないと言う事に成ります。私が言いたいのは、そのような思い出に残る事や一寸した気遣いを遣って貰った事を忘れてはいけない事です。その様な物には太い神経細胞が出来るのかも知れません。だから、人生でそう言うような記憶で埋め尽くして行けば、記憶力の低下も防げるし、常に記憶する事を忘れなければ頭も活性して行くのだと思えて仕方がありません。
 2,007年4月15日(日)

 

 


 ・アンチエイジング
  「何時までも若く居たい!」と言う願望、世の中の女性に限らず、若い男性、女性も多くの人が憧れる事です。
 歴史的に見てもエジプトのクレオパトラや中国の楊貴妃なども、此に当て嵌まり、若さへの追究と言うのは時代に関係無く、されて来ている物であると認識します。
 最近、この様な話題を何故気にする様になったか?其れは、ある出来事が切っ掛けです。京都で腕の良い理容店の人に散髪して貰っている時に、自分は髪が薄いなんて気にした事が無かったのですが、その人から「君は10年後に禿げる。」と言われました。禿げると言われて、遺伝的な物もあるしと考えましたが、良く考えると自分は顔が母親と似ており、父方に禿は居ないのですが、母方に沢山、禿が居て、僕は自分の叔父さんに顔が似ていてその人も禿げて居ます。現実として、その様な遺伝的要因も合い重なって、どうすれば良いか考えました。
 アンチエイジングと言って僕の周りの
聖士會館の人達はその様な人達が多いのに気付きました。僕の師である聖士會館館長は50代も後半だそうですが、40代、下手すると30代に見えます。経験的にも豊かな人なので、話は面白いし、色々な事を知っておられますが、俗に言う「爺臭い、婆臭い」と言う考え方が一切ないし、夢を追い求め続けて居る人です。アンチエイジングの人達は、経験的には相当な物でも考え方が若いのです。其れは若返りと直結すると思いました。
 最たる人にみどりちゃんと言う
聖士會館の聖女が居ます。彼女は見た目は16〜18歳位なそうですが、いきなり若返って仕舞ったと言う真実が其処にあります。館長もそうですが、神霊的に神様から直接恩恵を受ける人達も若いと言えます。明治時代にいらっしゃった山形、鶴岡の神霊能力者である長南年恵さんも究極のアンチエイジングで40、50歳に成っても年を20代にしか見えなかったそうです。
 彼女達は食べ物、飲み物も一切口に入れずに、食べずに排尿、排便も無いと言うを考えると、老化を加速する物を一切摂らないと言う事は体内の老廃産物も出ないのだから、年を取らないのです。詰まり、人間は食べ物を摂るから老化が加速的に成って行くと考える事が出来ます。その中でも乳製品を含む動物性蛋白質は、血液を汚し、老廃産物を多く排出します。体に吸収されればされる程、老化は進むと言う事です。
 禿の話に戻ると、食生活に因って変わるなら、老化の一部である禿もその一種であると思います。考えると知らず知らずに油物が好きで油菓子や脂っ濃い天麩羅などを食べて居ました。油は水より軽いので頭の方に上ります。そして、頭皮から毛根に移りスパッと抜けて行くと言うのが禿の原因だと思ってからは、油物を控える生活をして居ます。
 イギリス人の若禿が多いのは、フィッシュ&チップスの様なジャンクフードを良く好む為に多いのではと考えます。特に動物性の油と爪哇薯の組み合わせは禿になるにはベストマッチであり、髪が抜け易いでしょう。
 
聖士會館の会員の方に豊凛化粧品の社長さんが居られますが、その方は館長と同い年くらいなのですが、全く首に皺が無く、パッと周りを明るくさせる人です。矢張り考え方も若く、夢を追い求め続けて居られると思います。聖士會館には【ライフファクトリー】と言うアンチエイジングを推進する様な豊凛化粧品のサプリがありますが、それも相乗効果を生んでか、豊凛化粧品の化粧品を使用している会員の人が多い為か、聖士會館の会員の人はアンチエイジング集団であると言えます。普通から見たら、確実に5歳から15歳若く見えます。
 そのアンチエイジング集団の一員として加わる為には、食生活に於いて食生活を正し、若い芽の物、萌やし類や筍を油抜きで摂取し、心も何時でも明るく若く、夢を持って生きて行く事がアンチエイジングの秘訣ではないかと思います。
 2,007年正月16日(火)

 

 


 ・自動化社会
 現在ある自動化システムによって、対話型の自動販売機や口頭で電話に話しかけるだけで御飯が炊けて仕舞うような便利な時代になった。然し、その事に因って人としての大事なコミュニケーションが無くなり、機械と接する時間が多くなったが、人と接する時間が少なく成っている。
 コンビニに行けば、何でも何時でも買えるので対話する事もない。挨拶もさほどせずとも客だからと言って何も話さず、「今日は!」や「有難う!」も言えずにその日一日を無口で過ごす事が出来る。
 一昔前の私の少年時代であっても駄菓子屋があり、其処の家の店主は大体、老いたお祖父さんかお祖母さんなので耳が遠い為、何回も「御免下さい!」の声を張り上げて呼んだ物だ。そうすると必ずに「○○さんの息子、大きくなったね!」と言う具合に毎回の様に会っているのに挨拶言葉として交わした物だ。そんな時代なら、子供に対し大人全てが悪い事をしない様に監視している世界であり、何処の親関係なく「悪い事は悪い!」として叱って貰えると言う環境が成り立っていた。
 所がどうだろうか?駄菓子屋が潰れ、コンビニに打って変わったこの時代、愛想の無い店員がやる気の無い声で決まり文句を言い、子供は無表情にレジに行きお金だけポンとレジに置いて何も言わずに店を出る。そんな光景が当たり前に成っている。
 最近は子供達のコミュニケーション不足が指摘されている。ゲームを遣れば、その中に入り込んで仕舞い、一人だけで楽しむゲームであるなら会話は全く必要としない。ゲームの中に入り込み、気に入らなければリセットボタンを押す。だから、友達との喧嘩の中でも口論に成る事は無く、急にぶち切れて後ろから殴りかかるような子供が増えていると聞く。大人に成ってゲームのリセットボタンを押すように人生の中ではリセットボタンは押せない。
 そのような行為は大人がその行為を遣っているからであり、子供は良く大人を見ていて、子供は大人のコピーであるのだから、気を付けなければ成らない。実は子供が作って居るのでなく、大人社会の生き写しが其処にあると認識しなければならない。
 昔は形振り構わず、悪戯をした子供を拳骨する雷親父が必ず居た。そんな親父は今考えると正義感の強い良い人で、愛情があったから出来る事なのだと思うのだ。
 自動化して便利には成るが、その分捨て去る物も多い事に気付かなければ成らない。機械は使ってどれだけかの価値があるが、機械に使われるように成っては、元も子もない。
 便利さだけを追究する世界は、人間を堕落させるし、無気力にして仕舞う。だから、自動化には必ず裏を考えなければならない。職人技は一夜にしては出来ないし、電子ジャーで炊いた米より、薪で炊いた米の方が美味い。其れは、本物の技術は短時間では出来ない事を示すし、本物は原始的な物の方が素を見る事が出来、知る事が出来る。
 便利さを追究してもその裏の心の部分を失ってはならないと思う。
2006年10月27日(金)

 

 


 ・ドクターショッピング  
 病院に行き、診察を受け治療をしても治らずに次々に病院を替える事をドクターショッピングと言うとラジオで言っていたが、最近は、少しずつ金儲け主義の医者に嫌気をさして居る人が多くなって来た。
 それでも、「毎日2リットルの水を飲め!」であるとか、「初乳は汚いので与えるな!」であるとか、後から病院が儲かる様に人を商品として扱う病院、医者は後を立たない。何故、其処までしても病院や医者を信じられるのかが私にとっては、不思議で堪らないが、其れは人の不安と言う心の隙をついて居るからに他ならない。
 薬を飲んでないと不安、病院に定期的に検査に行かないと不安であると私と同じ位の年代の人もそんな事を言い出す。私の会社の知り合いは、3次検査まで受けて結局、「喉が炎症を起こしている。」と言われた。それは胃カメラを飲んだからであり、本当はそれなりに健康な人にも、不安を与え検査する事に因ってお金儲けして居るだけなのだと思う。
 その様な真実に気付かなければ、医者と言う錬金術師に上手いように操られるだけである。
 癌の治療には、抗生物質を与えるように勧める。新薬の強い抗生物質は、値段も高いし、何処でも出来ないから価値観がある様に思う。でも、新しい薬を与えてどのようになるか見る。まるでモルモット鼠の様に扱われ、最後に「残念ですが手遅れです...」と言いかね無い。
 とあるT市民病院には噂がある。3週間後には確実に病院を出られると言うような...その病院は何時も患者さんで溢れ返って大繁盛して居る。3週間御飯を食べながら、点滴を与え続けられると健康な人でも確実に糖尿病に成って仕舞う。糖尿病は全臓器の働きを鈍らせ、結局は廃人にしようとして居るのではないかと思える程である。だから 、3週間後に病院を出られるのは意味は、木の箱に詰まって出て来られると言う意味である。
 こんな事をやり続ける医者は、罪作りな人達であり、後生にも儲けるような手段を西洋医学から、資本主義から見い出したのであろう。まるで、お寺の何代も続く檀家のように構成が作られている。
 飛び交う情報によって右往左往し、袖下に入れマスコミと結託してデマ情報を流し操りに掛けるのが、最近の流行である。情報に因って困惑して仕舞うが、そろそろ自分で真実に気付かなければ成らない。
 ドクターショッピングをし、最終的にどう仕様も無くなり宗教に入ったり、他の錬金術師の魔の手に掛かる。聖士會館には、ドクターショッピングを遣りまくった人も可成りの割合で訪れる。自分で判断するしかないのだが、真実に触れると人間は安心する。
2006年9月9日(土)

 

 


 ・御腹に纏わる諺  
 人が健康で居られる為には、御腹、特に小腸や大腸が健康でないと風邪も引き易いし、大病も患い易い物です。腸が悪ければお腹も冷えるので、全身が冷え、冷え性にもなって来ます。
 聖士會館で学んでいると水気の多い人は、秋口に風邪を引き易いと学びます。腸には回収出来ない水分が溜まると言う事でもあります。空手の稽古等で激しく運動をすると御腹は温まってくる筈なのですが、鼻水が出てきます。此はお腹に溜まった水分が体全体と腸の温度差の為に寒いと感じ、鼻水が出てきます。また、冷たい物を摂り過ぎて居ても同じ現象が起きるのは、水分は多いと言う事です。腸のバロメータは鼻で感知する事が出来ますが、自分の食生活に於いても如何に水分が多いか知る事が出来ます。
 昔からの諺や言い伝えにもお腹や腸に関する物が調べて見ると多い物です。
 
「腹八分目」は腹八分目にしておけば、健康でいられるという養生を勧める諺です。聖士會館では「腹六分目」が良いと言っています。
 
「夏は熱いものが腹の薬」は暑い時は冷たい物が欲しくなるが、冷たい物を摂り過ぎると、食事が食べられなく成って仕舞います。夏でもお腹を冷やしては体調は狂って行きます。暑くても温かい物を摂り、体調を整えることが大切という戒め諺です。炎天下の夏の暑い時期に仕事をするような職人さんは休憩に熱い御茶を飲むと言います。理に適って居る事である感心します。
 
「病は口より入る」は、病気は食べ物が原因で起こる事が多く、食中毒や食生活の乱れによって起こる病気が殆どであるという意味です。聖士會館の女神様、ミドリちゃんは食べ物、飲み物を一切に摂りません。ある医者がミドリちゃんに「食べ物を摂らないから細菌に侵される事もなく、病気はしませんね。」と言ったそうですが、そんな事からも凡人は食べ物で体を壊して居るのが、分かります。本当の理由は違いますが、科学的に言うなら空気を摂り入れ、原子転換を起こしてエネルギー源を得ていると言うのでしょうか?土を食べて生きている人も居ると世の中ですから、そんな人も居てもおかしく無いと思います。「病は口より入る」は、食生活が如何に大切という戒め諺です。
 聖士會館のホームページにも多くの腸に関する諺を見付ける事が出来ます。
「癪に障る」は、胃腸が穏やかで無い状態に成って居て、胃腸の働きが精神状態に因って強く左右される事の証拠で有るそうです。怒りっぽい人は、胃腸も弱いのかも知れません。又、「腹が立つ」と言う言葉も同じ意味で使われる事が多いです。
 他にも
「腸が煮えくり返る」「断腸の思い」、「腑を絞る様な思い」と言う言葉でも腸が出てきます。腸は人間の感情も作用する物かも知れません。此の説明は聖士會館のホームページの食養療法ビームライトバーコード1999年6月上旬 に載っています。
 御腹が調子悪い時、力も入りませんし、腸が下がる事に因って横隔膜を下に引っ張り、そして、内臓全体を下げます。腹筋の強い人は腸が強く、体力があります。 腸を健康に保ち、体全体を健康に保ちたい物です。
2006年8月20日(日)

 

 


 ・名前の由来  
 人の名前にはそれぞれ多かれ少なかれ由来があります。その由来を調べるとその人の歴史を見ている様で面白い物です。
 多くの会社の名前にも由来があり、どんな会社なのか、またどのようにこの会社が出来たかなども知る事が出来ます。名前や名称と言うのは、一生つきまとう物で其の物、人の記録でもあります。」なった。誰がこんな指導をした?」と言う具合に責任は有耶無耶に 面白い例を上げたいと思います。
 ブリジストンは、創業者の石橋正二郎の姓の英語訳「stone bridge」を逆にした「bridge stone」からブリヂストンと付けている。
 キャノンは、創業者の一人であった吉田五郎が信仰していた観世音大菩薩を崇める観音教の「観音」に由来した35ミリカメラの試作機の名称の「KWANON(カンノン)」から、より近代的な高級カメラのイメージに合うネーミングとして考えられた 35ミリカメラの商標名の「Canon(キヤノン)(聖典、規範、標準という意味をもつ)」。など、意外な所から付いている名前があります。 
 参考までに、それを紹介しているホームページは以下です。【http://www.yurai.jp/】
 名前はその『韻を踏む』と言う意味でも重要です。人の名前なら、一生その呼び名で呼ばれる分けであり、聖士會館瓦町支部の河合さんの研究結果に因るなら、言霊として響くので身体のバランスや長所短所までを決定します。だから、名字が変わる人は人生が変わって行くのだと思います。
 私のニックネームの『三吉』は本名より、インパクトが強く、『ん』の文字が間にあるので全てを纏めてくれています。
 名前の持つ由来、そしてその音の響きにより、その人がどんな人生、または、歴史を送っているかがある程度予測出来るというのも勉強になります。
 
2006年7月20日(木)

 

 


 ・判断力  
 現代の企業や会社では、マニュアルを作り、誰でも仕事が出来るように効率化を図ります。所が、そのマニュアルに書いて無い事が起こると何も出来ずにその儘時間だけが過ぎます。マニュアルは予想出来得る事しか書いていないので、それ以外何もしない方が良いとなります。マニュアルを書いた人には、責任はあるかも知れませんが、その場に居る当事者には責任がありません。そして、責任は誰にあるのかと解いて行くと指導した上司にあり、そしてその責任は上司に行きそうなものなのですが、「何でこう言う事になった。誰がこんな指導をした?」と言う具合に責任は有耶無耶に成って行きます。結局誰も責任を取る人が居ないので、幾らマニュアルを作っても制限を作り、何枚も紙が増えるだけだと思えて仕方がありません。
 また、マニュアルは人間の考える力を失わせる物であり、その仕事を行う人に対し、殆ど信頼を置かず、ロボットのように命令しているだけと思ってしまいます。だから、其処には人間味がありません。
 ハンバーガーショップやコンビニの定員も全てマニュアルに書いてある事しか遣りません。と言うより、マニュアル以外の事は遣って欲しくないのかも知れません。買い物をコンビニでしても、何か冷たい印象を受けるのは、気のせいでしょうか?世間は、そんな温かみを求めないロボットのように動く世界を目指して居るとしたら、大変な間違いであると思うのです。
 マニュアル化は、判断力を失わせ結局自分で決定する事が出来ないと言う事になり、全てが判断が出来ない人間を作るような気がします。
 異業種間の間の中の話では、色々な話が飛び交い、自分がその会社の間では分からないような目を持った人間に会う事が出来ます。その中では自分が発動的に意見しなければならないので、判断力は増し、何を考えなければならないかはっきりします。
 同業種、サラリーマンの間では、全然話は発展しません。何故なら、其処には同じような目でしか物を見られないからです。サラリーマンの人達は同じ事だけ遣っているので、お酒を飲む場やプライベートでも結局は会社の愚痴になりがちです。結局、判断力と言うのは、身に付きません。何かが起こった時、自分でどうにしかしようとするその時々の判断力が必要だと思います。大学生は社会生活に出る予備軍ですが、あの責任のない自由の中では判断力は到底付かないでしょう。反対に自由だけが先行して行き、自覚の足らない大人を次々生んでいくような気がします。
 アメリカ的発想が必ずしも良いと思いませんが、自分の責任としてアメリカでは責任を全うし、失敗すれば責任を取ります。日本の企業の形態では其れこそ、判断力はリーダーに委ねられる筈なのに、結局は有耶無耶になります。
 判断をすると言う事は色々な所、場所、タイミングに目を向けると言う事です。何とか判断力を養う為には、見る目を狭くしないで広い見地で物事を見、考え、判断する事が必要だと思います。
2006年3月18日(土)

 

 


 ・観察
 日本人は観察の目が優れて居ると良く言われます。例えば、子供の時、殆どの日本人の男の子は虫採りが大好きです。甲虫や鍬形を採っては顔に近づけてじっくりと見ていました。絵で描けと言われれば、外国の子供に比べても多分一目瞭然に、足が何処から生えてくるのか、何処から羽が生えて居るのか、目は何処に付いてい
るのか分かる筈です。今や子供達の間では空前の昆虫ブームですが、ゲームでは本物には太刀打ち出来ない事でしょう。
 又、日本人の大工さんは腕が良いと言われます。宮大工は細かい構造で丸みを帯びた線形の建物を正確に造り上げます。正にそれは芸術作品であり、建物としても何千年も前から残って居るのだから丈夫で長持ちして居ます。それは理に適った建築物と言えるかも知れません。その秘伝の技も「目で盗め!」と言う職人さんの言葉の様に目で見てじっくりと観察し、本質を見極めていかなけば良き職人(プロ
フェッショナル)とは言えません。
 私の職場には、定年間近の初老の方が居ます。職人気質のその方は老眼鏡をはめて居ますが、機械が壊れピンチの時は颯爽と現れて細かい精度の居る所を勘・骨・経験そして度胸で直して仕舞います。その姿は本当に格好良いと思って仕舞います。勿論、老眼鏡をはめているのでそんな所はルーペを使っても中々見える所では有りません。その人の動きを見ると先ず、機械全体を見て、どんどんと細かい所を見て、色々な情報を得てから作業を始めます。リストラの多い中、こういう様な人達を首にして仕舞うような会社は未来が無いのかも知れません。
 広辞苑第三版で「観察」は「物事の実態を理解すべく良く注意して詳しく見る事。見極まる事。」とあります。日本の職人技術や工業が発展してきたのは、こういうような観察する事に長けていたからではないかと思います。
 物事に対しても注視して詳しく見る、そして見極めると言う事が出来るように成れば、人生を有意義に過ごす事が出来るのではと思います。
2006年正月28日(土)

 

 


 ・姿勢
 体の姿勢、何かに取り組む姿勢、前向きの姿勢など言いますが、姿勢はその人の内面的な物を表して居ると思います。
 姿の勢いで姿勢ですが、広辞苑第三版で辞書を引くと@体の構え。A事に当たる態度とあります。体の構えで言うと武道では姿勢や構えは重要です。綺麗な姿勢なら綺麗な技を繰り出す事が出来ます。相手がどこから攻撃してくるかを想定して構えをし、その姿勢を保ちます。姿勢が悪い例は猫背になり、体が縮まって仕舞い、反射も遅くなるし、目線も下がるので前を見渡せません。矢張り、武道に於いても姿勢は背筋を正し、丹田に力を込めて腰が少し縮むような綺麗な姿勢が攻撃も受けにも最適なのではと思います。
 私は昔から猫背で今までの人生も胸を張って生きると言う事が無かったように思います。その姿勢は矢張り人を表しているから其の形が出るのだと思います。緊張している時、人間が卑屈に成っている時など、僕は猫背になります。そんな時は横隔膜が開くように肩を10回程回します。そして、その手をすっと下ろすと胸を張っています。そうすると心も何故かリラックスして居ます。
 Aの事に当たる態度と言うのも大事な姿勢だと思います。取り組む姿勢が良いと気迫が目の前に現れます。取り組む姿勢に悪いとどうしても怠惰なように他人には見えて仕舞い、印象が悪い物です。だから、何かに取り組む時は嫌々遣っても仕方がないのだから、だったら一生懸命遣ってやろうと開き直って仕舞えば、取り組む姿勢はがらりと変わります。無双原理と言うと一気に陰から陽に変わって仕舞ったと言えるのかも知れません。
 健康の面でも同じ事が言えると思います。
 聖士會館のHPには、
『姿勢が悪いと言う事は、骨格が狂って居て、其の為に内臓や器官の働きも低下して居る部位が発生する。そうすると食物を摂取しても、其の身体効果率は低下する。低下するから脳に供給する血液の成分が低下し、脳の働きが悪く成り、判断力に欠ける様に成り、犯罪も多く成る。又、肩が凝るとか、背中や腰が痛い、膝が痛い、疲れ易い・・・・・・等の症状が発生する。全てに於いてアンバランスに成ります。
 正しい食事を摂り、姿勢を正すと言う事は人生を健康で明るくする事が出来ます。』
とあります。姿勢を良くすると健康にもなるのです。
 詰まり、姿勢を正すと言う事は人間の内面を変え、そして、文字通り姿勢を変え、健康にも良いのだから、是非共姿勢を正して行きたい物です。僕も姿勢を良く変える為に猫背矯正ベルトをして居ます。
2005年12月9日(金)

 

 


 ・距離、時間
  人間は行きたい所があると遠く離れた海外でさえ、わざわざ飛行機に乗って行ったりもするし、山を登る人、北極南極点を目指す人は何日も掛けて命懸けで目的を達成しようとします。
 かと思えば、小便に行きたくても寒い時や動きたくない時は、5m先のトイレが何と遠い事でしょうか?此処で思うのは人間は目的を持った人、持たない人ではその距離も時間も感じ方が全く違う感覚であり、やる気が無い時、面倒臭く思った時、何か自分に後ろめたさがある時、何と距離は長く、時間も経つのが遅い事でしょうか?直ぐ其処5mの距離が海外旅行に行く何万キロの方が感覚では近いと言えるのかも知れません。
 世の中には色々な人が居て時間的感覚、距離的感覚も凌駕できる人が存在すると言うのを最近気付きました。それは全て感覚が優先であり、時間や距離と言うのは関係なく成って仕舞うと言う事なのかも知れません。
 偶然に自分の妹達は双子ですが、同じ時間に違う場所に居ても同じ事を思ったり、同時に電話したりと言う事があるそうです。こんな感覚は本人達にしか分かりませんが、そう言うように感じて居るのだから、その思いの世界に時間とか距離の概念と言うのは存在しません。
 自分にも簡単に出来ないか考えました。例えば、行った所のあるようなイメージし易い場所や、其処に会いたい人が居る場合、想像ですが頭の中で描きます。そうするとその感覚はその場所に行ったり、その会いたい人に会ったり出来ます。この感覚は本物ではありませんが、距離と時間を感覚では超越して居る事になるのでは無いでしょうか?
 イメージゲームかも知れませんが、こんな感覚が僕は好きです。
2005年10月16日(日)

 

 


 ・ 抵抗療法
  9月か10月に衣替えがあります。今年は9月末でも可成り暑かったので、衣替えが大夫遅かったのでは無いでしょうか?寒い時、直ぐに服を着たくなりますが、今年は抵抗療法というのを実際に自分の体で実験しようと思っています。
 夏に水気を多く摂り過ぎた人は、腸が冷え易くなり、秋口に風邪を引くと聖士會館では言います。体験的に正にその通りだと思うのは、中に溜まった悪い塩気が出てこないので抵抗力が無く、ウイルスに入れ込まれ風邪を引くからです。
 昔から乾布摩擦というのがあって、寒い時期でも関係なく、皮膚に刺激を与える事に因って皮膚に抵抗力を付け、皮膚が頑丈にします。学生時代の寮生活で、一人元気者が居て風呂上がりに必ず冷水を浴びて居た彼は、確かに風邪を引いていたのを見た事がなく、今思えば彼なりの抵抗療法を実践していたに他成りません。
 人間の環境で、ぬるま湯に浸かると其れが居心地が良くなってそのままが良いと思うように成りますが、常に刺激を与え活性化して行く方が流動的だし、何かが起こった時に対処出来ます。
  そう言う意味では最近の世の中は、ぬるま湯のような所で自分では何も出来なくてこの儘ぬるま湯に浸かっていたくなります。そんな時、例えば戦争が起こり有事に成った時、一寸した傷で破傷風になったり、其れに抵抗する力もないので、最悪な事態が起きたり、山に逃げ込んで何日間生きられるでしょうか?そんな事を考えて毎日生活するのは精神衛生上よくはありませんが、生活でも体でも抵抗力を持たせ、生きると言うのが大事であると思っています。
  最近読んでいる本に赤本と言う戦争前に書かれた家庭内医学の本があります。その本には、ある北海道の国会議員が東京に出向く時必ず半袖短パンでやって来たと書いてありました。
 今年はその北海道の国会議員までは行かないとしても、抵抗療法を心掛けてどれだけ成果が出るか実験してみたいと思っています。
2005年10月6日(木)

 

 


 ・コンビニ
  コンビニエンスストア、略してコンビニ。先駆けは雑貨屋や酒屋、たばこ屋で町の小さな店が今でこそ、何処にでもあるコンビニになりました。セブンイレンブンは7〜11時(23時)まで遣っているのでセブンイレンブンの発祥ですが、最近は大きいスーパーも24時間営業になって、何でも何時でも手に入るようになりました。日本語で言うと便利な店、名前の通り本当に便利でトイレは借りられるし、立ち読みは出来るし、ちょっと何か無いなと思った時、コンビニで買えるから良いやという気分になります。そんな私もコンビニに犯されて居る一人で、殆ど毎日のようにコンビニに通って居ます。漫画本のお目当てだけ立ち読みしたり、煙草を買ったりと酷い時は用も無いのにコンビニに行って時間を潰している自分が居ます。
  便利になったけど、実はその便利さの御陰で随分と失う物も大きいような気がします。例えば、家にビールが無い時、コンビニの無い時代、もしくは辺鄙な所に済んで居たなら、仕方ないから明日まで我慢するかという気になります。歩いて1分にコンビニがあると我慢しないで、あの店の冷蔵庫にあると言った感じで、僕は買いに走って仕舞うでしょう。詰まり、我慢をしない環境があり、何も計画しなくてもコンビニにあるから良いやと言う状態に陥って仕舞います。
  果たしてどちらが良いかと私は考えます。コンビニは日本人の食生活も変化させ、薬漬けの弁当を食べ、何故か辞められなくなり、体を破壊したり、また、便利さを追求する余り我慢する事を忘れ、コンビニ周りの明るい所でしかたむろ出来ないチンピラを作りだし、実はメリットがその場、その時の悦楽を得る為の物かも知れません。3分の漫画本の立ち読みは止められないかも知れませんが、多くの失って居る物を取り戻す為にもコンビニに依存しない生活を心掛けたいと思います。
2005年9月26日(月)

 

 


 ・大和魂
  自分の職場には日系のブラジル人が居ます。その彼らはとても優しく、昔から知っているように付き合い、語り合ってくれます。僕が貸した工具を一本無くして、「別に良いよ。」と言ったのに次の日新品を買って返してくれた人が居ました。大した事ではないけど中々出来ないし、凄く嬉しかったのを思い出します。又、ブラジルへ帰るという女の子は皆に挨拶をして泣いていました。それだけ短い間でも一生懸命やっていたと感じました。何故だか分かりませんが、会社全体見ても僕にとって信頼関係は彼らの方が深いと思っています。それは立場が近いとかあるのかも知れませんが、心底語り合えるような雰囲気を彼らは持って居ます。彼らは日本語は話せますが、読んだり書いたり出来ないし、それを理屈でなく内部から語ろうとするせいか心に響き、伝わります。
 会社員で休みを心待ちにして居る日本人より、働かなければ母国の家族にお金を送れないと言うように、とてもハングリーです。あるテレビで戦時中に外国に行った当時逃げたと言われた日本人の方が、帰りたくても帰れないと望郷の念から、日本人と言う誇りが強くなるのだと言っていました。そんな誇りを持っている分、彼らは日本人らしいのかも知れません。今の日本人はどうでしょうか?海外旅行が好きで連休には兎に角、外国に行きたい、そして物価の違いを言い事に好き放題お金を使って優越感を感じているような気さえします。僕も海外が好きで日本から出たけど、日本と言う足元を見ないで、そして知ろうともしないで、僕のように日本を出るのは馬鹿のやる事だと思います。
 僕らがベースなんだよと言い張れる程日本人の魂、「大和魂」を宿して心底優しく、気遣いを持った日本人なんて古いと言われるかも知れないけど、日系ブラジル人に会って余計そう思うように成りました。 

 

2005年9月24日(土)

 

 


 ・牛乳
 何時から日本人は牛乳を飲み始めるようになったのでしょうか?他の国、モンゴルやブルガリアなどは生活に密着し、放牧をしたり家畜として飼っていました。しかし、彼らでも人を育てるには牛乳では無く、母乳で育てて居る筈です。
 日本の場合、明治時代、文明開化の時に牛肉が貴族が食べる西洋の高級食材として入って来て、庶民には牛肉を食べたり、牛乳を飲むなんて考えもしなかったようです。
 戦争があり、貧しい生活が続き戦後GHQによってアメリカで常食されていたパンや牛乳、オレンジ、牛肉と言うように一気に入って来ました。食に飢えて居た日本人には受け入れ易く、流行と同時に広まったように思います。
 牛乳をインターネットで検索を掛けるとタンパク質は栄養の最高峰、そしてホルモンの生産や免疫物質も入っていて、カルシウムは、母乳の4倍だからカルシウムの補給に最も適して居り、吸収率も他の小魚や野菜より高いなんて言います。
 だったら何故牛乳を飲むと直ぐに下痢をするのでしょうか?ホルモンの生産や免疫物質も入っているから逆に人間が常食する飲み物でないと気付かなければいけないのでは無いのでしょうか?
 聖士會館の理論に因れば左半身、特に左足首が弱くなり怪我がし易い事が分かって居ます。そんな私も牛乳を子供の時から飲み続けて居ました。確かに牛乳を辞めた御陰で激しい運動を続けて居る今も左足は全然怪我をしなくなりました。
 現代の切れ易い子供、学力の低下等、牛乳を辞めればそれだけで治ってしまう気がしてなりません。また、ホルモン系に強く影響するので乳癌や子宮系の病気など、乳製品を辞めれば良いだけでないの?と言いたくなります。アメリカが勧めた牛乳なのにそのアメリカでは、不飲運動まで出て仕舞う程、不健康食品として扱われて居ます。そろそろ時が遅くなる前に牛乳について考え直してみませんか?

 

 
   がんこさんに描いて貰ったイラスト         がんこさんに描いて貰った2005年聖士會館望年会のルパンのイラスト

 

 

更新日2008/07/13       Copyright SANKICHI Established 2005.9.24 All rights reserved.