仮想の中心力について
本部道場 八級 永沼 敦
押忍
武道空手にとって中心軸を持ち、意識を高めて中心力をつけるように努力する事は上達する事に繋がると思います。
丹田に力を入れる事によって腰が安定し、立っている時に膝がゆったりと曲がりを持ち、やや前傾になる姿勢、それは古来から日本人が腰の位置が低く足を上げずに歩くような風習と似ています。そう言う意味でも中心力を持った姿勢は、日本人の骨格に合った理にかなった形と言えます。
丹田という器官はありませんが、臍下の腹部に力を入れる事が外国人に説明しても分からず、日本人だけに与えられた知恵なのかも知れません。又、広辞苑第4版を見ると『健康と勇気を得るところ』と有ります。まるで武道に沿った考え方だと理解する事が出来ますが、どこからどのようにして健康と勇気を得る事が出来るか中々分かりません。日本人の着物や武道の道着は、丹田に力を入れ易い構造になっていると思います。準備体操で遣るバランスコントロール運動のゴムも丁度丹田付近に巻きます。そうする事により腰が安定し、動きがスムーズになるのは中心力を高めて居るからに他なりません。
自由組み手では中心力が狂った時に倒れやすい瞬間が何度も有ります。中心力を失うという事は力の作用点が全て一点に集まり、その場所が一瞬ずれているので力を失います。仮想の中心力の理論を用いると力の大きさに関係なく、距離のバランスや向きを作用する事により、相手の中心力を失った瞬間に攻撃すれば、力を使わずして相手の力を利用しコントロールする事で可能になるのではないかと思います。
自分が攻撃する際は、反対に頭部の位置を変えないように自分の中心力が崩れない状態で突き蹴り、捌き崩しを行う必要があります。中心力を失った瞬間、相手に技を返す隙を作る瞬間でもあると思います。
足の親指の母指に力を入れる事で丹田に力を入れるような状態を作る事が出来ます。その形は自然に前傾になり、同側同調の歩き方をすると姿勢が楽に保てます。同側同調は中心力を高めるために理に適った動き方であり、頭も上下しません。相手に分かり難い動きを考えると頭や肩のぶれは致命的です。又、中心力を保った状態なら膝にゆとりが出来ているので膝から始動を始める空手道の動きも分かり難くする事が出来ると思います。中心力を高める事により、攻撃も防御も上達する事が出来るのではと思います。
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図1: 立ち姿勢 |
図2−@: 前蹴り×
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図2−A: 前蹴り○
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図1のように立ち姿勢で◎は、仮想の中心力の位置です。臍のしたの丹田には中心力は無く、頭の下方部にあると思います。詰まり、仮想の中心力は頭が体の中で一番重いのでその頭が一番安定する位置が仮想の中心力ある位置ではないかと思います。
図2は前蹴りの絵ですが、本来なら平面的ではなく立体的に半身の捻りが加わります。今回は平面的に考えました。×の前蹴りだと頭の支えが無く中心力が崩れた状態であり、○の場合だと頭が体の中心にあるので力が入るし、頭の移動分、加速するので速度も速いです。
常日頃から仮想の中心力を意識して生活すると腰への負担が軽減されて居ることに気付きます。例えば母指に力を入れて階段を上ると前傾状態にあるので勝手に足が出てくるようになり、体のバランスが良く仮想の中心力が取れています。
何年か前に踵の無いスリッパを主婦が考案して痩せるスリッパとして売り出されました。此は仮想の中心力で言う母指に力を入れる状態を擬似的に作り出していると云えます。中心力を高める行為にも繋がるので、自然と体や骨格が調整されている結果があります。千鳥足になるように重い足を踵を上げる事で、足かせを取って軽くなる感じがします。
日本人の武道や着物を着た茶道・華道においては摺り足、忍び足で歩きます。そのような歩き方は頭がぶれることが無いので中心力を持った歩き方であり、意外と素早く動くことが出来ます。忍者のように足を上げず、「さっさっ」と小走りになると足音もしないで道側同調に自然になっていきます。中心力を高めるには普段からの修行が重要です。中心力を高める事に意識を向けると自然に精神も落ち着いてくるから不思議です。
中心力=求心力と館長が仰るように中心力を持ってくれば求心力もついてくるようにな気がします。聖士會館本部が人が良く集まるのは、中心力・求心力を持った所だからに他なりません。組み手でも求心力を持って居るなら、相手を呼び込み自分の中心力を崩さずして技を掛ける状態に持って行ける気がします。
未だ、今回自分の丹田にある中心力がどのように動いているか、その中心力も何を中心にして回っているか研究不足ですが、次への課題にしたいと思います。
押忍
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